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尾木ママ “ いい子症候群 ” からの、脱出!その2 [パーソナル]

引き続き、「いい子からの脱却」について。



ある日TVで、(ほんとテレビっ子)

心屋仁之助さんがお悩み番組でおっしゃった言葉。

「何も頑張らなくても、自分は愛されている、と心から思えることが自信だよ」

記憶から書いているので、まるっきり同じじゃないかもしれませんが

こう聞いたときに涙がでました。

私にはその考え方なかった、と気づけたから。


そのように自分を再認識してからとても楽になったの。

同じ頃(2014 1月頃)パニック発作も起こり、心のキャパも知れた。


キャパを知ると視界に変なフィルターがかかって、

脳が発作起こさないように?警戒するような感じになったけど、

今現在はそれすら薄くなっている。


どんな要因でリカバリーにつながったのか、考えてみた。


●  “ 表現系 ” の授業が楽しかった

国語、英語、図工、美術音楽

子供のころから絵を書くのが好きで、そこで楽しく憂さ晴らし出来ていたのかも。

絵を褒められるのは、私自身を褒めてくれているようで、全然苦じゃなかったもの。

今も上手くなりたいと思う程。

表現できる技術はいくらでも欲しい。

ストイックに自分と向き合って、苦しみや苦難を乗り越えて得る自信は、

ここから得たと思う。


得意なことがなくても、

日々思うことを紙に書き出してみるだけでもスッキリしたり。

言葉に出すことも表現の一つ。


● 本を読む

学生時代なんて全く出来なかったのに、

社会人になってから厳しい労働環境から這い上がりたくて、

危機感からビジネス書やら自己啓発書をひたすら読んだ。

自分では体験しきれないことを教えてくれるし、

内省させてくれる。

いろんな経験を活かす図太さ、マインドを得ている。


● 親の柔軟さ

自分は自分、人は人。

というしつけだったので、人と比べることにハマっても抜けられる状態であった。

いい子であることも、そのままの自分であることも

絵を通じて褒めてくれたから、

不満はあるけど、感謝もしている。

完璧な人はいないんだと分かる。


あと親に言われてきたこと以外のことをするって、

“ 裏切り行為 ” ではない。

親が自分の行いを見直すいい機会だと思う。


● 恋人の存在

長年一緒にいてくれる人がいる。

その人の前では、なぜか “ いい子でいたくてもドジばっかり出ちゃう ”

そしてそれを安心して見せられる存在は、彼以外いなかった。

プライド高い人には、こういうドジがうっかり出ちゃう恋人もいいかも^^


止まない雨はない。

明けない夜はない。

そう思って頑張ってきてよかったと思う。


尾木ママ “ いい子症候群 ” からの、脱出!その1 [パーソナル]

このブログで時々、“ いい子 ” について触れているけれど、

ある日、ホンマでっか!?TVを見ていたら、

尾木ママが、「いい子症候群」という言葉を発した。


ん?と思ってTVを見終え、「いい子症候群」を検索。

ママスタ☆コラム、というサイトで

「尾木ママの目からウロコの教育論」というコラムがあったので読んでみた。



うんうん。

まさに私が通ってきた道だ。

「いい子症候群」っていうんだね。

新型うつの一つとも言われるらしく、

軽いパニック発作を起こした経験から、やはり少しでもうつに近づいたんだと

改めて分かった。

長男・長女に多いらしい。



親が子を褒めるときに使いがちな、「いい子だね」「お利口ね」という言葉。

親の笑顔が見たいために作っているいい子の姿に、ではなく、

子の存在自体、持っている長所、に対して具体的に言うことが大事なのだそう。


頑張っていることばっかりにフォーカスして褒められると、

嬉しい反面、プレッシャーがハンパなくまとわりついてくるの。

親でも会社でも同じ。

常に頑張っていないと認められないんだ、という自己暗示がかかってしまうわけ。

そのプレッシャーから逃れたくなって反抗したり、

逆に褒められないように行動を制限するようになっていく。


我が家では、

おばあちゃんから「いい子だねー」って、ま〜よく言われた。

心の中では「何が?どこがいい子なの?」と繰り返してたよ。


母からは、私が出来るようになったことに対しても褒めてくれたが、

ダメなところや弱音を吐いたことが少なかったから、

親からしたら、強い子なんだ、おとなしくて安心してみてられるんだ、

という期待感がすごかった。


クラスの子や先生からは、おとなしく授業を受けているだけで

“ 真面目 ” レッテルを貼ってくる。


どこか自分のようで自分じゃない感じがあるのよね。


そうして鎧の内側にあるヨワヨワの自分に自身がないまま年を取って、

気づかぬうちに心が抱えられる負荷の容量を超え、

自己不全感を抱き、うつの症状がでるらしい。

私はなかったけど、罪悪感がでちゃう方もいるみたい。


でも辛かったけど、幸いなことに発散も出来ていたと思う。

家でケンカした記憶も少ないし、

人や自分を物理的に傷つけたことも。


次回、「いい子からの脱却」について経験談を。


エイゴの青(ブルー)〜義足のシングルファーザー〜 [家族]

ステンドグラス作家である川島晋一に密着した、ザ・ノンフィクションを観た。

事故で両足を切断。

離婚で三人の子供を引き取り、奥さんが一人を引き取る。

作家活動と教室運営で家族を養っている。



私はそこで “ 親子のすれ違い ” を観ることができた。


父として、「獅子は子を谷底に落とす」と自ら発し、

彼なりの子育てとして、子供達に厳しく怒っていた。


海へキャンプに出かけたある日、

父と火を囲んでいた反抗期の次男が、勇気を出して言った。


「人のものを勝手に壊さないで。

 自分で出来ないことは言わないで。

 ストレスを子供で発散しないで。

 それだけ。」と。


親にとっては言われたくないことだろう。

でも子供にとっては、唯一の親に対する叫びだ。


よく言った、と思った。


私はまだ、そんなに研ぎすました言葉で、親に不満を言ったことがない。

幸いなことに、そこまで傷つかずに済んでいるからかもしれない。


親が思っている以上に、

子供は対等な “ 横の目線 ” で親や世間を見ている。


子供のリクエストに応えたり、

自分の時間を使って得たお金で、何か買い与えたりして、

こんなに手をかけてやってやってるじゃないか。と思っても、

手をかけることが全てではく、子供が本当に求める愛は他にもある。


“ 未熟で何も出来なくたって、自分に向き合ってくれる ”

この実感が欲しい。


本当は親の方が、

本質が分かっているはず。

子供に伝えたい愛を抱えているはず。

でも、その親自身が、誰かが向き合ってくれている実感が少ないのが、現状のような気がする。


大人になっても “ 横の目線 ” でいてくれる、ものを言ってくれる

友人が川島さんにはいる。

自分を認めてくれる存在が “ そこ ” にいてくれるためには、

まず自分が “ 横の目線 ” を見失ってはダメなんだ。


それを無邪気に表現してくれるのが、子供だと思う。


「親のチカラ不足」は、身近な存在への感謝で変わるんじゃないか。


私のゾーン [パーソナル]

世の中で買えるものの、

ほんの一部しか、欲しい!と思わない。

こんなにありあまる程に溢れているというのに。


“ ものづくり ” ってすごく好きなんだけど、

溢れかえっている “ もの ” 達を感じてしまうと、

「これが行く末か・・」と、とたんに手が止まってしまう。


自分で処理しきれる範囲で楽しんでおわり。



曲でも本でも作品を作り続ける人達って、活動力がある。

私もそうなりたかったはずなのに、その土台を自ら止めてしまう。


自分なりのやり方があるんじゃないかと模索しているけれど、

やっぱりだめ。


もうこだわりぬいてこれぞ “ 集大成 ” と言わんものを考えつかない限り、

作ることに意味があるのだろうか・・と止めてしまうのだ。


つくづく “ ビジネスもの作り ” に向いていないのだろう。



仕方がないじゃないか。

内なる心がそう言っているのだから。


そこに尽力する代わりに、

“ 好きなゾーン ” を見つける作業もよくしている。

スクラップブック作ったり、自分っぽいソースを収集して、分析する。


そこからヒントも得られるし、

自分の傾向を知ることが出来るので楽しい。



結局、「自分のやりたいことを見つける」というのは、

砂金を露(あらわ)にするようなものだもの。



今の時点で解っている指標をあげておこう。

ナチュラルだけど色っぽい、健やかさ、本物、
可憐、継承、象徴、、普遍、アイデンティティー、、


自分にとってこうゆう存在となるものを創り出したいのだ。


アイスのはなし [パーソナル]

お昼時、アイスの話になった。

この時期のアイス、いいよね。

お気に入りのアイスや食べ方を言い合いっこした。


ミルク系の味にこだわり、

バー・モナカ・カップ・ソフトクリームまでオススメを紹介してくれる子。

パリっとしたチョコと、溶けかかったクリームの食感を楽しむ子。

新商品に詳しい子。

好きなメーカーがある子。


私もそれなりにアイスを食べてきたのだけど、

そこまでアイスに思い入れがないことに気づいて、

語れなかった。。



なんか、甘くて冷たくて、クリーミーなものを食べていただけかもしれない。



もちろん買うときには好きなもの、

そのときの気分に合うものではあるけど、


好きな味で食べ比べしたり、

好きなシリーズの新商品を試したり、

“ これでしょ! ” という意気込みはない。

この食べ方が最高なんだよ!というこだわりもない。



節約とか、カロリーの方が気になっていたかもしれない。

財布と相談して、買えるもの。

カロリーや成分を見て、ちょっとでも罪悪感を減らしたい。


やりたいことを追いかけている時期なんて、

贅沢なことから削っていくから、

随分そのやり方で通ってきてしまったな。


正しい、間違いではなく、“ 新境地発見 ” みたいな。


そんなちっぽけなところから、

楽しみ方を得た気がした、お昼だった。


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