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エイゴの青(ブルー)〜義足のシングルファーザー〜 [家族]

ステンドグラス作家である川島晋一に密着した、ザ・ノンフィクションを観た。

事故で両足を切断。

離婚で三人の子供を引き取り、奥さんが一人を引き取る。

作家活動と教室運営で家族を養っている。



私はそこで “ 親子のすれ違い ” を観ることができた。


父として、「獅子は子を谷底に落とす」と自ら発し、

彼なりの子育てとして、子供達に厳しく怒っていた。


海へキャンプに出かけたある日、

父と火を囲んでいた反抗期の次男が、勇気を出して言った。


「人のものを勝手に壊さないで。

 自分で出来ないことは言わないで。

 ストレスを子供で発散しないで。

 それだけ。」と。


親にとっては言われたくないことだろう。

でも子供にとっては、唯一の親に対する叫びだ。


よく言った、と思った。


私はまだ、そんなに研ぎすました言葉で、親に不満を言ったことがない。

幸いなことに、そこまで傷つかずに済んでいるからかもしれない。


親が思っている以上に、

子供は対等な “ 横の目線 ” で親や世間を見ている。


子供のリクエストに応えたり、

自分の時間を使って得たお金で、何か買い与えたりして、

こんなに手をかけてやってやってるじゃないか。と思っても、

手をかけることが全てではく、子供が本当に求める愛は他にもある。


“ 未熟で何も出来なくたって、自分に向き合ってくれる ”

この実感が欲しい。


本当は親の方が、

本質が分かっているはず。

子供に伝えたい愛を抱えているはず。

でも、その親自身が、誰かが向き合ってくれている実感が少ないのが、現状のような気がする。


大人になっても “ 横の目線 ” でいてくれる、ものを言ってくれる

友人が川島さんにはいる。

自分を認めてくれる存在が “ そこ ” にいてくれるためには、

まず自分が “ 横の目線 ” を見失ってはダメなんだ。


それを無邪気に表現してくれるのが、子供だと思う。


「親のチカラ不足」は、身近な存在への感謝で変わるんじゃないか。


我が家の注意の仕方 実践例 [家族]

構造はシンプルなのに
情報や人目によって複雑になってしまうことって日常茶飯事。

ただ、“ なんかそうなっちゃった ” という結果というのは、
自分が動けば解決できる。

出来なかったんじゃなくて、やらなかっただけ。
とよく聞くけれど、
そうなっちゃったんじゃなくて、そうなることに疑問をもたなかっただけ。

意志をもって動いていないと、流されるのだ。


流されたり、振り回されたくなければ、
“ 芯ある自分 ” になるしかない。


“ 芯ある自分 ” になるキッカケをつかむためには、
自分のアンテナを強くしないといけない。

それには “ 自分なりの本質 ” を意識し始めること。


さらに本質を意識した自分を作る土台となるのが、
“ 親の愛情 ” なのだと思う。


ー 絆と信頼を築く「我が家の注意の仕方」ー


社会には WIN-WIN という概念があるけれど、
親子という社会にもあると思う。

親が子供に言うことを聞いてほしいのであれば、
子供だって聞いてくれる環境がほしいもの。

保護者だからとか、立場が上だからというより、
人として尊重されながら注意をうけたいもの。

だから一方的に体罰で分からせようとしたって、
自分という存在を受け入れてくれてなければ、響かないのだ。


実際私の場合を思い起こすと、

母親は厳しい注意をしてきたけれど、
同じかそれ以上に、私のいい分も聞いてくれていた。


これだけで WIN-WIN なる。

意外と簡単で、シンプルなことだと思う。


全然筋の通ってない言い分も、
企みがだだ漏れの言い分もだし、

ちっちゃな疑問を聞いても、
親にとって都合の悪いことを聞いても、応えてくれていた。

兄弟ゲンカでも間に入って、両者の言い分を聞いて、
おさめてくれていた。


そうやって日々忙しい中、
こちらの動きに対応してくれて、満たしてくれていれば、

注意だって聞かなきゃな、って自然となるよね。


人の迷惑になるから、って言われる時も、
親は人の迷惑になることをしてないなという、
言ってることとやっていることの “ 一貫性 ” も大事だと思う。


“ 一貫性 ” は仕事でも同じ、友人でも同じ。

周りにいないのであれば、自分に “ 一貫性 ” を持つ。


気づけば、“ 類は友を呼んでいる ” よ。



気づけば、子供のせいにする親 2 [家族]

前回の続きとなる、

どのように、満たされない子供の気持ちを癒したらいいのか。


その前に、
まだそんな風に思えず、
自分のことでいっぱいであるのなら、
“ 自分の内なる気持ち ” を聞くこと。

自己満足でも、
自己顕示欲でも、

吐き出して、
解放して、

キャパのなかに “ 新たなスペース ” を作ること。

それは、子供や他人を受け入れる “ 器 ” になる。


まずは頭の中のモヤモヤを、いらない紙にでもコピペする。
これをするだけで吐き出す癖がつくし、
後にいいことをアウトプットするときにも使えると思う。


次に、本題。


親はたとえ自分のことでいっぱいだったとしても、
それは自分の都合であり、子供のせいではないことを受け入れる。
言い訳をしてきて “ ごめんね ” という。

子供がいつから、どんなときに満たされなかったのか、
“ 自分の内なる気持ち ” を聞いて上げる。

自分にしたようにね。

それがどんなに幼稚と思えることであったとしても、
受け入れて、視線を合わせること。

気持ちを受け取ったら、
自分に何が出来るのか、お互いの歩む方向性を一緒に、認識する。


注意するのはそれからでいい。

子供に注意する意味を伝え、
やる気を出させることを、
めんどくさい、わからないと投げ出さない。

目先のことを丸めないと人目が向いてしまう、
やる気を出させなければ自分の評価が下がってしまうといような
自分都合はどこかにおいておく。


これが、子育て = 学びが多い、ということだと思う。

子は親を見て真似び、
親は子を見て学ぶ、と。


ここから温かい言葉が生まれるし、
絆が生まれるし、
愛が育まれていくのだと思うのだ。



次回、実践例ということで、我が家の注意のされ方を。


気づけば、子供のせいにする親 1 [家族]

電車の中や、デパート、道ばたでも
よく見かける光景のなかに、とてつもないモヤモヤがあったりする。


子供に対して、

座っていなさい。
おとなしくしていなさい。
周りに迷惑だからやめなさい。
危ないからやめなさい。
今それどころじゃないから、後にしなさい。

という親達。


聞いている分には注意してるんだな、という感じだった。
でもふと視線をやると、

言うだけで、親自身は何もしていない、という人が少なくない。

いや、注意していますけど。。
って返されそうですが、
行動がともなっていない注意の仕方なのだ。


そもそも子供って、
親の意識を自分に向けさせたいのが、常。

“ 赤ちゃんにとって泣くことが仕事 ” というように、騒ぐのは当然。

成長につれて、単純に泣くことから、いたずらや反抗に変わるだけで、
親の気を引く= 愛情の確認 はかわらない。


そして忘れがちなのが、“ 子は親を見て、真似て育つ ” ということ。

自分の子供が言うこと聞かないな、ダメだなって思うということは、
親である自分自身の否定になってしまうということ。


これに気づくと一気に危機感が生まれるよね。


注意しているつもりでも、
忙しそうにスマホにかじりついていたり、
友人とのおしゃべりに夢中になっていては、
愛情はほとんど伝わらない。

子供にとっては放置されている状態にある。

仮に仕事で忙しいのであっても、
親にとって正当な理由があったとしても、
子供にとっては “ 気を向けてくれること ” が最重要なのだ。


それほど子供の思考はシンプルなもので、

親のエゴは通用しないもの。


その儚い気持ちを、親になると忘れてしまう。

または自分は満たされなかったから、やり方が分からないのかもしれない。

その儚い気持ちが満たされなければ、
意思表示がエスカレートしたり、
親に理解されることを放棄したり、
愛されないのは自分のせいだと傷つけたり、

気づけば、我が子を理解できなくなってくる。

わだかまりが深く強くなっていく・・


でもこれって、癒すことができると思っているの。



長くなってしまうので、
次回につづく。


母の味 [家族]

最近食べ物がおいしくてたまらない。

みかん、ねっとり甘い焼き芋、すりおろし林檎を加えたカレー、
焼き魚、卵焼き、ゼンマイとこんにゃくの炒め煮、きんぴら、
みそ汁、炊きたてご飯、キュウリのぬか漬け。。

現時点で、最期に食べたいものは、
【鮭おにぎり】
半日たってのりが張り付いたやつね。
梅もすてがたいけどね。

母の味、おふくろの味、っていいよね。

松本伊代さんは料理できないイメージになっているけれど、
へこたれずに料理習って、
おふくろの味として、目玉焼きが作れるようになったらしい。

すごく前向きでいいな、と思った。

レパートリーは少なくても、自分に作ってくれるという愛情は
必ず伝わるから、スーパーでも “素材” を買うお母さんになりたいな。


体は今までに食べたもので出来ている。
親が与える食べ物で、子供の免疫や土台が作られるから、
与え方って大事だよね。

親になるときに食べ物の食べ方や、与え方を教えてくれるところがあるといいね。
自分で情報を取りにいけば、幾らでもあるから、
取りにいき方? 重い腰のあげ方?


キューピーの、
“愛は食卓にある。” ってすごく好きな言葉。

それを伝えるお母さんになりたいよ。



母親から見た私の性分 [家族]

今日の夕飯後の団らん。
母親から見た子供達の性分を聞いた。

その中で私は一番目だから愛情はどの子よりもかかっていると。
二人目が生まれるまで両親独り占めだし、
だいたい写真も一番多く残っているよね。

だけど子育てに確信を得るのは二人目以降だと。
一人目で試行錯誤して、二人目以降で確認して、あとはそれぞれの性格に合わせて対応が変わっていくのだって。

母親は女二人、男二人が望みだったらしい。
結果女二人、男一人を生み出した。
仕事もしながら、姑もしっかり頼りながら、笑顔絶えず育ててくれた。

“母親は一家の華であることが努め”
だと、朝ドラ「カーネーション」にて、
晩年の糸子がたくましく言っていた。
それを見た時は、なるほどーと感心したな。

母親はどんな性分・育て方であろうとブレずに貫くと子供達は落ち着く、
と聞いたこともある。

我が家の母は他に類を見ないほど強く、たくましく、楽観的を貫いている。
ほんとかなわない。。
私を悩ます危機感のようなものがあんまりないように見え、楽しいことに突っ走れる。


私の性分はというと、自立心と責任感が強く、常に正解でいる。
いいんだけど、息が詰まるし、口喧嘩した日には相手は逃げられない。
正論で真っ向勝負を挑むから逃げ場がなくて怖いって。
それで妹は逆ギレするしかなくて声を荒げると。

ふむふむ。確かにね。兄弟喧嘩をそんな冷静に見ていたとは。

こちらの言い分としては、決して攻撃ではないのよ。
むしろ負けないように防衛反応なわけ。
私だって喧嘩は怖いもの。

しつけとして怒られてきたし、
怒られることに慣れてしまっているから、そういう向き合い方になってしまったけれど、
そういう環境に慣れていない人もいるし、
男性も女性にそんな風にされたら嫌だっただろうなー、と今は思える。

だから機会があれば、あの時はそんなふうにしかできなくてごめんね。と伝えてる。
本人としては真剣なだけだったりするから、それもわかってほしいな。

これからの課題はそれかな。
もうすこし楽に考えて、人付き合いの良いところいっぱい見つける。
堅苦しくて、気難しくて、気が抜けないような印象を模様替え。
ちょっとした抜け感、隙間、未熟さを素直に出していきたいな。


父の夢 [家族]

ある朝の通勤に急いでいた。
乗り込むべく停車中のバスを追いかけた。
しかしバスは出てしまった。

勢いでバス停から少し走ったので戻ろうとしたら、周りは似たようだけど知らない場所だった。
勘を頼りに歩いているといつもの高速にあたった。

その頃にはもう薄暗くなっていて、
あれ?と思いつつ帰路についた。

高速のふもとあたり、反対側の歩道に地元では見かけないような華やかな女性の姿。
路地に入るところだった。
何故か気になって追いかけた。

細い路地を入るとお祭りをやっていた。
来たことのないお祭り。すこし気味の悪い感じもした。
ここで働く女性だったのかな。

ずっと一本道だったので先に進んだ。
開けてきたと思ったら歓楽街に出る。
古本屋らしきところで友人らしき男性に声をかけられ、
久しぶりの会話と、なぜか如何わしい本の感想を求められた。
そこでは読めないし、どこかに入って見てみるかと、
持ちながら場所を探した。

そうしたら父に出くわしてしまった。
本を隠しながら何食わぬ顔で一緒に歩いた。
普段父とはそんなに話さないのだが、その時もそんな感じで。
途中、父がお客と会うというのでほっとしながら別れた。

また歩く。
目的地はどこなのか、まだ着けていない。

ほどなくして父の用が終わりまた現れた。
来た道を戻るように歩きながら会話した。

「今朝はどうしたんだ」
「行こうとしたんだよ」
「遅刻したのか」
お祭りの駄菓子屋で昆布スティック(おそらく酢昆布)を買ってもらい、
「わかってる」(ちゃんと行けなかったのが悪いことだと)

そして家に着いた。




こんな鮮明な夢は久々だった。不思議だった。
自分の生きている社会を俯瞰して見たようだ。

小さい社会で生き、
大人になってもその中でしか生きない人もいるのだと。
その初めて入った町はあまり陽のあたらず、
まるで妖怪が住むような隔離された空気も漂っていた。
日常に埋もれ、こういうもんだと思って生きていくのだろう。

どうしたらその中の私を助けられるのか、と考えてみたものの、
そもそも助ける必要すらないのかもしれない。


そして唯一身内で登場した父。

私がきちんと目的地に着けるように、
「見守ってやるから」
というメッセージを受け取った気分。

朝の件から、路地でふらふら歩いている姿、
不審な人との付き合いまで、ずっと見られていたのかもしれない。

いつも言葉数は少なくても、
そんなふうに心配してくれているのかと思ったら、うるっときた。

もちろんただの夢だから私の勝手な解釈なのだけれど、
なぜだかとても嬉しかったのだ。


ホンマでっか!?良い親子関係の築き方&絆深める方法 [家族]

今日の放送の中で納得いったものをあげておこう。

①3歳までに父親とのスキンシップが沢山あると、
大人になった時に男性の愛情のある触り方が分かる。

→これはそうかも!
力の入れ方とか触り方とか、コレコレっていうピンポイントがあるのだ。
少し強めの甘噛みくらいで止めてくれるのってすごくいい。
そうゆうことだったのか☆

②子供の頃ハグが不足していると、成人になっても肌が触れることに抵抗を覚える。

→イエス
抱っこもチューもしていた記憶があるので恋人であれば抵抗はない。

③溺愛されて育つと老後親の面倒を見なくなる
過剰な保護は愛情ではなく甘えさせているだけ
愛するとは、ある程度距離を取り、任せられるようになること
満たされない気持ちを少し残すことで、見ていて欲しいから近くで面倒みる

→おそらくイエス
甘やかされてはいなかったと思うし、自立しているし、
老後のことも考えなきゃと思っている

④父親が家事をすると、娘が独立する

→父は全く家事をしないが私はそこまでかな、、ちょっとわからない


気になったのはこのくらい。

やはり幼少期のスキンシップと、
ある程度の厳しさと、
子供をちゃんと見ている姿勢を示すというのが大事なのだな!ふむ!

小野寺の弟 小野寺の姉 [家族]

タイトルの映画を見てきた。

本当に日本一優しく、日本一愛おしい姉弟だよー。
笑ったしすごく元気出たしうるうるした。
私にお姉ちゃんいたらどんな人生だったのかな


自分に納得するって中々難しいよね。
日本人は人目を気にする質だし、そう教え込まれているし、なかなか殻を破るのも難しい。
破ったところで覚悟してなきゃ前へ進めない。

でも結局のところ、
それは世の中の決まりではなく、そう思い込んでるだけなんだけどね。

思い込んでいるという事実は、いろいろ知って、疑問が湧いて、追求しに一歩外へ踏み出さなきゃ気付けないと思う。
まず疑問に思うのが起点よね。
コンプレックスがいっぱいあったから疑問と不満だらけだったな。

でもそんな垢抜けない自分が嫌で、高校中にオーストラリアにホームステイしに行った。
一人で行って、現地で3週間くらい学校行ったり出かけたり。同級生だけじゃなく大人にも囲まれてとても刺激的だったな。
街でもフレンドリーで、目が合えば笑ってくれるのも嬉しかった。

私はクラスで馴染みずらくていつもつまらなさそうにしてたけど、現地の子達は青春してた。

一番印象に残っているのが高校のダンスパーティー。
ステイ先の子達に誘われて行ったのだけど、普段の生徒っぽい、友達っぽい感じが、急にセクシーになるの。
見た目なんか関係なくて、太った子も、髪がボサッとした子も、可愛い子も、一見垢抜けない子も、普段のフニャッとした子もみんな見つめあってダンスするの。
えー!と思ってドキドキが止まらなかったよ。

文化がそうなのかもしれないけど、
みんなちゃんと自信があるのよね、
愛されているってゆう。

もう本当にカルチャーショックで、
簡単なような大掛かりなような、
でもそれがとてもキラキラした事実で、
そんなふうに私もなれるかなって思いを持って帰ってきた。

でもそんな経験をしたのは若い頃なのに、
そろそろかな、と思えたのはつい最近なのです。

こんなにかかったかぁ。
どれだけこじらせてたのかしら。

今は着飾る前に潔く、
頑張らなくても愛されてるんだって思い込む事が出来ている。

そうなると恋人とちゃんと見つめあえるし、
本音が言えるし、労われるし、
恋人が笑ってくれてるならそれでいいと思う。

疑問から解決まで長かったけれど、自分の中の自分が喜ぶためだったのよね。

第一子 [家族]

第一子は、お家にとって子供世帯を切り開いていかなければならない立場。。
ならないという表現は重いけれど、少なからずそういうプレッシャーがあった。

両親も初めて自身を親として認識し始めるのだからプレッシャーはあるだろう。
そんなお互い様の立場だからこそ、大人になった時に支え合えるのだと思う。


第一子ゆえのモヤモヤはみんなあるよね。

それをケアできる母親の秘策がある。

それは
次に子が産まれても、第一子ときちんと向き合うこと。

下の子が泣いていても、上の子が甘えて来たら優先的に応えてあげる。
赤ちゃんの頃は泣くのが仕事だし、母親のぬくもりが必要。
荒くいえば、下の子はまだ抱っこしておけばいい。
しかし第一子は精神的にも育っているわけで、
嫉妬もすれば、親のあり方をしっかり見ている。
そこで下の子と共に甘えさせておくと、上の子は自分も見てくれているんだと安心して育つのだと。

確かにそのように育てられたこちらとしては、納得がいくのだ。
逆にもう大丈夫だからと言えるくらいになってしまった。
それでも気にかけてくれるのは嬉しいけどね。


あとケンカしても両方の意見を聞いてくれたことも大きい。
親がそのように公平に見てくれることで、子もそのように考えられるようになる。
兄弟間でのしがらみはあったとしても、親のせいにはしたことがない。

大人になって、逆に両親がケンカしていても、お互い様だと割って入れるようになる。
友達同士のいざこざで相談を受ける時も、どちらの味方になるかではなく、
双方の本意を聞いて、自分の意見を言える。

結構大事なことではないか。


躾に力を注いでくれたことに感謝しつつ、
自分が親になったらこの秘策を使おう。




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